セミナーハウス(その14)

蚊に刺されないように注意しながら新宿中央公園(小さな滝の前で親子がキャッチボールをしている)を抜けると新宿駅までは一本道だった。駅につくと携帯が呼んでいる。「Mですけど、道に迷って困っているんですが。」「・・・」会話は難しい。「何人で迷っているんだ?」「4人です。」「わかった。御茶ノ水で待っているから気をつけて来なさい。」「・・・」難しい。御茶ノ水に着くと、20分ほどしてM達も到着した。そして「先生、ひどーい。」(来てるじゃないか)と予定通りの会話をする。自分の頭で考えるのが数学である。そしてそれを実行したMは後にちゃんと目標だった外大に行き朝のラッシュアワーで例の道具で電車に押し込む駅員のアルバイトを女子ながらやって学費の足しにした。当時文科省や厚労省のキャリア教育が高校でも進められていた。生徒が自らの生き方を考え、将来に対する目的意識を持ち、自らの意志と責任で進路を選択決定する能力・態度を身に付けることができるよう、指導・援助することも先生の仕事に含まれているようだ。さらにもっと以前の別の生徒Mさんを見てみよう。彼女は、将来小学校の先生になりたいと3年の春、進路相談に来た。しかも得意な運動を活かして保健体育の先生になりたいという。面談で1年間の学習の流れを一緒に考え、本人もやる気になっていた。彼女は目標に向かって勉強し、体育の先生の指導の下で実技も鍛え、無事目標の私大の教育学部に入学する。ここまでが我々の範疇である。彼女は大学で教職をとり小学校教諭の免許を取得する。しかし、大学卒業時に小学校の先生の口がうまく見つからず、彼女は都内で保育士の仕事に就く。更にその保育園はいわゆる無認可保育園で、しかも高額所得者の子供だけを対象とした超贅沢な保育園であったかもしれない。当然最新機器をふんだんに備えた施設で、例えば家庭連絡帳などはタブレット端末で保護者が常時子供の状態を把握できるようにはなっているだろう。こんな保育園は恐らく経営者が若く、30歳くらいであろうか。人生経験の足りない経営者は職員に相当な無理難題を平気で押しつける。忙しさと運営方針に耐えきれず仕事を辞めていく同僚も多い中、彼女は体育会系の持ち前のパワーで乗り切っていた。しかし、他の仲間と同様に今の仕事に不安を感じていた頃、たまたまある園児の父親の紹介で転職の話を貰う。所謂芸能プロダクションだ。興味をもった彼女はその入社試験をパスし、そこで働くことになる。そして、彼女は徐々に仕事を覚え、ある有名な女優のマネージャーになる。まだ、当時20代半ばの彼女は都内をアルファロメオでもかっ飛ばし、元々備えていた目力にも一層磨きが掛かり交差点で隣りの車を威嚇しながら無事に仕事場へ届ける、ある意味とても魅力的な社会人になる。仕事は前以上に忙しいがとても充実した日々を送っていて何よりも遣り甲斐を感じている。高校生の当時、数年後のこういった姿を本人も僕も勿論想像できなかったし、そのことを誰もが納得できる。また、小学校の先生と今の仕事のどちらかを選べるなら、彼女は迷わず今の仕事を取るという。それも当然であろう。大事なことは、彼女はここぞというときにすべて自分の責任において決断してきたことである。その意味で、高校生は大きな決断を何回か経験することになる。大学見学に行ったり、模擬授業を受けたり、人生の大先輩の講演を聴いたりして判断の材料を蓄え、そうやって考え方の幅を広げる。模試の結果や、赤本の過去問をみて受験時の自分の力を判断する。だが自身の性格や学力の伸びを評価することは難しいので親や先生に相談する。しかし、区切りにおいて最後に決断するのは自分である。親でも先生でもない。その決断において逃げる気持ちはもっていない。目標に全力で立ち向かう決断であり、だから自分で決め、後は肝を据えてとことんやり通す。努力と結果の間に明白な正の相関関係があることを我々は知っている。スーツケースを転がしながら仕事の合間に遅れて駅前の山葵にやってきたMは先に集まっている数名と同様に高校生では計れない大きな成長を見せてくれた。