偶然か必然か

数学では傍(はた)から見ると、どうしてそんなことが思いつくの?
ということがある。応えは「偶然に見つけた。」となるのだが、それでは中高生の皆さんが納得できないのは当然だろう。だが、実はその偶然は経験がものをいう、つまりたくさん問題を解いている者にとってはときどき起こる偶然を糧(かて)に必然になっていく。
その偶然を皆さんに経験させるために(生徒が)感じ取れないレベルで我々は授業に偶然を仕組んでいく、それはまるでパズルを作っているような感覚で面白い。作り慣れてくると次の授業へ、1週間後の授業へとその偶然がつながっていくように頭の中で組み立る。そして、去年の授業で先生が黒板に書いた○○がやっとわかりました、となるのです。そういう会話は何回も経験する。なぜかすごく印象にあるのは相当に相当に昔、神戸大の医学部に進学したある生徒だ。3年間の授業の中でたった1回ある日の授業後に彼がそれを言ってきた。彼がそれを言ったことに意味があり、僕はそれをしっかり覚えている。数学は時間を掛けていろいろ見えてくるように構成しているので、一人の先生の授業を2年、3年と受け続けることは実はとても大事なのである。
たとえば昔、インベーダーゲームが流行り始めたころいろいろなゲームが登場した。爆撃機のようなもので地上のさまざまなものを攻撃し得点を重ねていく、というようなものがあった。森のような何もないところを攻撃していると、実は見えない対象物があり、攻撃が成功すると森の中の見えない対象物が目に見える物として現れ、しかも得点が高かったりする。偶然にそれに気づいた者は次からは必然になり、暇であればその後同じことを実行するようになる。その感じが数学にある。つまり中高生が質の高い良問(ここが我々の腕)の経験を積むことはとても大事であり、その経験が全く別の数学の中に傍からまるで偶然に見つけたようにみえる重要な鍵をしっかり必然として見つけることができるようになるのである。
「偶然に見つけた。」こいつやるな、はプロの中高生である。「偶然に見つけた。」なーんだ偶然か、は素人の中高生である。
授業が大きなパズルになっている、というのはそういうことである。